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其の3
事務所を開所したものの、メンバーになかなか仕事はなかった。
前年、私の代役として『聖闘士星矢』第35話でデビューした立川元教も、38話執筆後、ビデオの『ズッコケ三人組』を私と共作したもののアニメの枠に順応できず筆を折っていた。
しかし、3月いっぱいで新聞奨学生の年季が明けた川崎が事務所の隣り部屋に転居してきた。
彼は赤堀や荒川たちから食費を徴収し、自ら炊事当番として昼食や夕食の支度をし、赤堀たちに食べさせたりもした(米は田舎の両親から送ってもらった赤堀が提供したかも知れない。川崎は器用にパエリアなど作って見せた)。
メンバーは活気づいた。やはり人間腹が減っていては駄目だ。
若き飢えてるの悩みが解消され、目は輝き、意欲も十分に漲っていた。
メンバーは雀の涙ほどの原稿料で、アメリカ製のアニメの日本語訳を録音台本用に改訂する仕事をしたり、イベント会社の仕事で阿佐ヶ谷のある町内会のお祭りの企画書まで赤堀が書いたり、スライドのナレーション書きの仕事を高橋が受注してきたりと、駆け出しの悲哀を十二分に味わっていた。
とにかく彼らにはピン(単独)での脚本の依頼はなかった。私が参加している作品のプロデューサーに、「最後は私が責任を持って改訂しますので書かせてみてください」とお願いするしかなかった。
こうして、この年4月に始まった『魔神英雄伝ワタル』に高橋(デビュー作)と川崎(デビュー作は『ドテラマン』)が参加を許され、『ついでにとんちんかん』に三井(デビュー作)と川崎が、『ホワッツマイケル』に赤堀(デビュー作)が参加を許された。
その間に修業を重ねていた2期生の千葉克彦(前年7月、すでに『ハイスクール奇面組』でデビューしていた)と4期生の松井亜弥(『ホワッツマイケル』でデビュー)をメンバーに加えた。
デビューに関していえば、のっぽ史に記録を残しておかなければならないエピソードがある。最も不幸な星を背負ってしまったのが隅沢克之だ。
この年、10月末、彼は『ついでにとんちんかん』の第42話でデビューするはずだった。
しかし、放送当日、家族や親戚、友人知人に連絡してテレビの前に坐っていた彼は7時30分、チャンネルをフジテレビに合わせて我が目を疑った。
流れ始めた番組は『京都の四季』。
「なんだコレ?」と隅沢が思ったのも無理はない。当然のことだ。
種明かしをするなら、実はこの日、昭和天皇の病状が悪化したために、急遽番組が変更になってしまったのだ。
隅沢の不運はこれだけではなかった。
なんと翌週が最終回だったのである。哀れ、彼のデビュー作となるべき作品はお蔵入りとなってしまった。
隅沢の不幸は尚も続く。
次の作品『ホワッツマイケル』では脚本家名の隅沢が隈沢とクレジットされてしまったのである。
しかし、彼は翌年『ドラゴンボール』で文句のないデビューを飾り、不幸癖を一気に吹き払ってしまう。ああメデタシメデタシ。
そしていよいよ1989(昭和64)年1月8日。昭和天皇崩御により、元号は平成と改められた。
この年、ぶらざあのっぽは一気に飛躍の年を迎えることになる。
(つづく)
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